
経営・事業戦略
2026/8/20
派遣事業は、原価が自社の判断の外側で上がっていく事業です。最低賃金も、労使協定方式の一般賃金水準も、社会保険料も、自社の業績とは無関係に改定されます。それでも利益を残している会社があります。違いは営業力ではなく、原価が動く日程から逆算して意思決定しているかどうかです。この記事では、従業員5名から300名規模の派遣会社の経営者・支店長に向けて、どの数字を見て、いつ、何を決めるべきかを整理します。
目次
先に結論を述べます。利益を残す派遣会社は、値上げ交渉が上手いのではなく、原価が上がる時期を先に把握し、そこから逆算して交渉・撤退・採用の順番を決めています。厚生労働省「令和6年度 労働者派遣事業報告書の集計結果(速報)」によれば、派遣料金は8時間換算で平均26,257円(前年度比3.6%増)、派遣労働者の賃金は16,735円(同3.4%増)でした。差額は9,522円で、前年度の9,147円から375円増えています。
数字だけ見れば健全です。しかし同じ時期、東京商工リサーチ「2025年1-11月の『労働者派遣業』倒産」によると倒産は82件(前年同期比41.3%増)に達しました。平均が伸びているのに退出が増える。この差は、料金改定の巧拙よりも、改定を持ち出すタイミングの設計から生まれていると考えられます。
原因は、原価が外部の決定によって上がる一方、料金は商談でしか上がらない点にあります。派遣会社の原価を動かす要因は、大きく三つです。
一つ目は最低賃金です。厚生労働省「令和8年度地域別最低賃金額改定の目安について」では、引上げ額の目安がAランク54円、B・Cランク56円と示され、目安どおりなら全国加重平均は1,176円になります。二つ目は労使協定方式の一般賃金水準です。職業安定局長通達として例年8月下旬に公表され、翌年度から適用されます(令和8年度適用分は2025年8月25日公表)。厚生労働省の同一労働同一賃金の解説ページで確認できます。三つ目は社会保険料率の改定です。
この構造の重さは、対象人数からも分かります。令和7年6月1日現在で派遣労働者は約201万人、うち協定対象派遣労働者は無期雇用843,039人・有期雇用1,053,767人の合計約190万人で、9割超を占めます(厚生労働省「労働者派遣事業の事業報告の集計結果について」)。つまり業界の大半が、局長通達の水準に賃金を合わせる義務を負っています。原価改定は交渉事項ではなく、日程が決まった確定事項だと捉える必要があります。
時期 | 外部で決まること | 自社が判断すべきこと |
|---|---|---|
7〜8月 | 最低賃金の目安答申、一般賃金水準の局長通達公表 | 翌年度の原価上昇額を職種別に試算する |
8〜9月 | 各都道府県の最低賃金が答申・決定 | 発効日ごとに影響する契約を洗い出す |
10月以降 | 最低賃金が順次発効 | 発効前に料金改定を打診し終える |
1〜3月 | 労使協定の改定・締結作業 | 改定後の原価で採算が合わない契約を選別する |
4月 | 新しい一般賃金水準が適用 | 採算割れ契約の継続可否を確定させる |
なお2026年10月1日からは、雇入れ時・派遣時の明示事項に「待遇の相違の内容や理由について説明を求めることができる旨」が追加されます。説明対応の工数が増える分も、間接コストとして見込んでおくのが安全です。
多くの会社が粗利率を管理指標に置いています。しかし賃上げ局面では、率は実態を隠します。先の集計を令和5年度と比べると、派遣料金と賃金の差額は9,147円から9,522円へ4.1%増えた一方、差額の比率は36.1%から36.3%とほとんど動いていません。率だけを見ていれば「維持できている」と読めます。
では、なぜそれが危ういのか。粗利率が同じでも、募集費、社会保険料、内勤者の人件費は率に連動して下がるわけではないからです。管理すべきは1人1日あたりの粗利額であり、その額が社会保険料や採用単価の上昇分を上回っているかどうかです。例えば料金と賃金を同率で10%上げれば率は保てますが、稼働人数が減っていれば粗利総額は減ります。率と額と人数を分けて見ることが、判断の出発点になります。この視点は「人材派遣市場の料金動向」を読むときにも同じように使えます。
打ち手の効果が出る速さは同じではありません。順番を誤ると、資金繰りが持たないまま正しい施策を続けることになります。1事業所あたりの派遣先件数は26.0件(前掲・令和6年度集計)で、取引先が数十社ある会社であれば、全社に同時に値上げを持ち出すのは工数的にも現実的ではありません。優先順位をつけて臨む必要があります。
打ち手 | 効果が出るまで | 主なリスク | 向いている局面 |
|---|---|---|---|
採算割れ契約の更新停止 | 1〜3か月 | 稼働人数と売上の減少 | 原価改定で赤字が確定した契約がある |
既存派遣先への料金改定 | 3〜6か月 | 他社への切替え | 更新月が近く、代替が利きにくい職種 |
派遣先内での増員提案 | 1〜3か月 | 対応工数の増加 | 現場評価が高く、隣の部署に需要がある |
採用費の抑制 | 即時 | 中期的な稼働の先細り | 充足率が低い媒体に費用が偏っている |
新規開拓の強化 | 6か月以上 | 短期の資金繰り悪化 | 手元資金に余裕がある |
最初に手を付けるべきは、値上げではなく採算割れ契約の選別です。値上げは相手の合意が要りますが、更新停止は自社だけで決められます。判断の速さが違います。
ここからは、公開データと派遣事業の構造から組み立てた想定ケースです。実在の事例ではありません。稼働60名・取引先18社の派遣会社が、翌年度の原価上昇を8月時点で試算し、契約単位で採算を並べ直した、という設定で考えてみましょう。
項目 | 見直し前 | 見直し後の狙い |
|---|---|---|
原価上昇の把握 | 4月の適用後に気づく | 8月の通達公表時点で職種別に試算 |
交渉の起点 | 派遣先から相談された時 | 更新月の60日前に自社から起案 |
採算割れ契約 | 稼働維持を優先し継続 | 改定後の粗利額で継続可否を判定 |
管理指標 | 月次売上と粗利率 | 1人1日あたり粗利額と稼働人数 |
交渉材料 | 「最低賃金が上がるので」 | 職種別の一般賃金水準と発効日を提示 |
交渉材料の差は小さく見えて、結果を分けます。派遣先の担当者にとって、値上げは社内稟議の対象です。根拠が公開資料で確認できる形になっているほど、稟議は通りやすくなります。この考え方は、「売上10億円を目指す派遣会社の経営戦略とロードマップ」で扱う成長段階でも変わりません。
契約ごとに「1人1日あたり粗利額」を算出し、低い順に並べたか
自社の主要職種について、翌年度適用の一般賃金水準を確認したか
事業所所在地の最低賃金の改定額と発効日を、契約一覧に紐づけたか
更新月の60日前を、料金改定の起案期限として社内に設定したか
原価改定後に赤字となる契約を特定し、継続可否の判断者を決めたか
粗利率だけでなく、粗利額と稼働人数を並べて月次で確認しているか
2026年10月1日施行の明示事項の追加に、書式が対応しているか
派遣会社の利益は、値上げの成否だけで決まるものではありません。原価が上がる日程は公開されており、8月の通達公表から翌年4月の適用までに、判断のための時間が半年以上あります。まず出すべきは、契約ごとの1人1日あたり粗利額と、翌年度の原価上昇見込みの二つです。この二つが並べば、値上げを打診する相手と、更新を止める相手が分かれます。判断が遅れて失われた利益は、翌年の営業努力では取り戻しにくいという前提で、今年の8月からのカレンダーを組み直してみてください。淘汰の局面で残る会社の条件は、「派遣会社は淘汰の時代へ?生き残る会社と消える会社の違い」とも重なります。
採算割れ契約の整理を進めると、稼働の受け皿となる新しい取引先が必要になります。自社の営業だけで接点を増やすことが難しい場合には、外部の仕組みを併用する選択肢もあります。ハケンバンクは、求人企業と派遣会社をつなぎ、派遣会社の案件獲得を支援するプラットフォームです。
厚生労働省「令和6年度 労働者派遣事業報告書の集計結果(速報)」(2026年3月31日公表)
厚生労働省「令和8年度地域別最低賃金額改定の目安について」(2026年7月28日公表)
厚生労働省「派遣労働者の同一労働同一賃金について」(令和8年10月1日改正対応版を含む)
厚生労働省「労働者派遣事業の事業報告の集計結果について(令和7年6月1日現在の状況)」(2025年公表)
東京商工リサーチ「2025年1-11月の『労働者派遣業』倒産 82件」(2025年12月公表)
この記事の監修者

ハケンバンク運営チーム
ハケンバンク運営チームは、人材派遣会社と求人企業をつなぐプラットフォーム「ハケンバンク」の運営を通じて、派遣業界の市場動向や現場課題を日々分析しています。
派遣会社の経営者・営業担当者・コーディネーターの実務に役立つ情報を発信し、「派遣会社の経営を変える知識」をテーマに、業界の構造や最新トレンド、実践的なノウハウを分かりやすくお届けしています。

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